ママカフェ実践体験談

ママカフェ体験記01

ママカフェに初参加してから約5か月が経過しました。

 

ママカフェ参加する前の我が家の惨状

イヤイヤ期って2歳で終わるんじゃなかったっけ?
3歳を過ぎても4歳を過ぎても、エスカレートするばかりのイヤイヤに
ほとほと神経をすり減らしていました。

 

イヤーイヤーと泣いている他人の小さな子が可愛らしく感じるほど。
「嫌だって言ってるだろ!」と私を睨み付け、顔をめがけて泣きながらパンチしてくるわが子。
自分の思い通りにならないとスーパーでも道でもひっくり返って泣くわが子。

 

毎日がみがみと怒ってばかりいる自分に疲れ切っていました。
どうして私の子供は言っても言っても言うことを聞いてくれないんだろう。
「うちは言うこと聞かないと玄関から外に出しちゃうよ」
「おしり引っ叩いちゃうよ」というママもいて、そこまでしないと男の子って
分かってもらえないものなのかなと漠然とした不安を抱くようになりました。

 

「育児って修行なんだ」
「イヤイヤが終わるまでは忍耐なんだ」
「早く大きくなってコミュニケーションが取れるようにならないかなぁ」

 

毎日子どもと顔を合わせるのが憂鬱でした。
たった徒歩5分の保育園の帰り道なのに毎日40分以上かかっても帰れず、
お迎えに行くのが苦痛でした。
外食に行くとすぐ椅子から飛び降り一人で外へ行ってしまい、食事をするのがままならないので、
スマホやiPadのゲームやワンセグを見せて無理やり座らせていました。
手を振り払ってすぐどこかへ行ってしまうので、2人で外出することが恐怖でした。

 

※写真:実際にふてくされてショッピングモールで寝そべっている状態。
「ちゃんと座りなさい」と怒るとふざけてこのような座り方に。

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同じく育児に悩む友人が参加し始めた「ママカフェ」の存在が
次第に私の心の中で大きなものとなりました。
思い切って参加してみようかな?

 

実際にママカフェに参加してみました

心が疲弊しきっていた私は、自分で行くと決めたことなのにとても心が重かったです。
「うちの子ほど言うことを聞いてくれない子はいない」そう思っていたので、
志高く参加されている方々に自分が引け目を感じるのではないかと思っていました。

 

「どうせうちの子供のことは分からない。こんなに不機嫌で、手がかかる子どもはいない」
今考えると恐ろしい先入観でした。

 

でも初めて参加したママカフェで、
今まで子どもが私にしていたことは「私をコントロールしようとしている」。
私がガミガミ言ってばかりいたことは「私が彼をコントロールしようとしていた」。
という事実に衝撃を受けました。

 

その場で突っ伏して泣いてしまいたかった。
自分がやっていたことは間違っていた。
でも今まではどうしたらいいのか、分からなかったのです。
親に言われて嫌だったこと、されて苦しかったことを、そのまま自分の子供に反映していました。
変わるべき必要があったのは誰でもなくて、自分でした。

 

帰宅してから、今日勉強したことを主人に話し、
いままでその場をやり過ごすだけの存在だったゲームを排除しようと相談しました。
そこからはさながら戦場のように辛い忍耐が待っていました。

 

まず、スマホ、iPad, DS, Wii 全ての機種からゲームを排除しました。
捨てる前には、何度も何度も言って説明しました。
いきなり捨てるのではなく
「ママは、もっともっと遊んだり、お話したり、一緒の時間を過ごしたいんだ」
「だからゲームはやめようね」
自分の楽しいことを排除されて、1週間ぐらい狂ったように泣いていました。

 

でも根気よくUNOや、オセロ、すごろくなど家族全員で参加できる遊びをし、
外遊びも積極的に参加し始めると、気持ちがとても落ち着いてきて
テレビすら見なくなってきました。

 

スーパーで買い物時に「これを買って」とひっくり返って泣いている時も、
「今は買ってあげることができないんだよ。ごめんね。
今日は一緒にパンを買いに来るってお話したよね」
しばらく床でひっくりかえって泣いています。
「こんなに泣かせて」と人の視線も痛いです。
苦しくなるとママカフェで勉強したことを発揮できるチャンスだと気持ちを切り替えました。

 

今までの自分だったら「じゃあお菓子買いに行こうか」
「もう泣いてるんだったら置いて帰っちゃうからね」必ず言っていたことです。

 

でも静かに座り「今日は買えないんだよ」。
泣いて、泣いて、泣いて、その後何が待っていたんでしょう。
今まで見たことのない光景です。
勝手に泣き止み「じゃ、帰ろう」と立ち上がる息子です。

 

保育園でも帰りに「靴下と靴を全部履かせてほしい」とひっくり返り泣く子どもの側で、
「ママは自分でできることはもうお手伝いしてあげることはできないんだよ。
だから自分で履いてね」

 

息子の怒りはますますエスカレートし、地団太を踏んで泣き叫ぶので、
先生方が「どうしたんですか?」と何人も事務室から出てきます。
「先生、すみませんが見守っていてください。
私は子どもが自分でできることはもうお手伝いはできないと伝えたので」
履かせてあげて、この場をやりすごすだけの私はもう存在しません。

 

ガチャガチャを見つめて「ママ、ガチャガチャやりたい!これとこれのガチャガチャ買って」
「もうガチャガチャするのやめようか?家に持って帰ってもそれで遊んでいるの見たことないし、
ゴミになるから」落ち着いてそう説明すると、
しばらくガチャガチャを見つめて「うん、わかった」と立ち上がりました。

 

今自分が見ている光景はなんだろう?
毎日毎日が「小さな心の記念日」になり、自分に自信が付き、
子供との結びつきが強くなっていると感じます。

 

極め付けはフードコートで家族3人で食事をしている時のこと。
何かスイッチが入ってしまった息子が、夕食には手を付けず、
「やだ!」「そうじゃない!」「ちがう!」と大声で泣き始めました。

 

「何が嫌だった?」「どうしたらよかった?」
私の問いかけも、彼の怒りをエスカレートさせるばかり。
近くに座っていたカップルが「うるせーな」と冷たい視線。
同じく親子連れで食事をしていた人たちが、苦々しい顔で席を移動していきます。

 

「もう今何を聞いたって無駄だよ」ついに主人が根負けして、一人席を立って帰ってしまいました。
号泣する息子と2人。私は言い続けました。
「自分の言葉で何が嫌だったのか、説明してほしい。ママは君が考えていることが知りたいんだ。
もっともっと仲良くなるためにも」

 

そこから10分ぐらいまた激しく泣いたでしょうか?
ついに息子が「パパとママにお水をもっと持ってきてあげたかったけど、
紙コップ沢山使ったらだめだよ、と言われたのが悲しかった」と、説明してくれたのです。

 

「そうだったんだね、自分の気持ち説明してくれてありがとう。
ママは何が悲しかったのか、何が嫌だったのか、今わかったよ。ありがとうね」
フードコートで2人抱き合って大泣きしました。外から見たら不審者です。ほんと。
でもこれが息子と私の突破口となり、心の記念日となりました。

 

恥ずかしい話ですが、息子が一番最初に書いたひらがなが何と「もんく」だったのです。
自分の名前も書く前に、文句という文字を書いて私に見せたかった気持ちを思うと胸が痛みます。

 

次に書いたひらがなは「ありがとう」でした。
相変わらず自分の名前は書きませんが(笑)ありがとうを伝えたかったんだ、と、
「もんく」「ありがとう」セットで手帳に忍ばせています。

 

今日もスイミングスクールでのロッカールームで、お母さんたちの怒号が飛び交います。
「もう時間ないんだから、早くしてってさっきから何度も言ってるでしょ!」
「そんなことしてないで早く着替えなさい!」
「ふざけてるとお母さん帰っちゃうからね!」

 

私はてきぱきと自分で着替えを済ます息子の隣でただ座っているだけ。
「ママいってきまーす!」と笑顔でプールに向かう息子をぎゅっと抱きしめて
「今日も楽しんできてねー!」と声をかけるだけです。

 

あれ、私半年前は毎日泣いてなかったっけ?

 

イライラが激減します。
子どもに怒鳴ったり、脅したり、威嚇したりしなくなります。
自己嫌悪が減ります。
完璧じゃなくていいや!と許容範囲、守備範囲がめっちゃ広くなります。
人と比較して落ち込んだりしません。
楽しい事を考えるようになります。
充実した今を生きられるようになります。

 

キム兄さん、受け入れてくれて、道を照らしてくれて、本当にありがとうございます。