体験談

ママカフェ体験記07

「ねえ、何で『ありがとう』って言わなくちゃいけないの?
自分がお願いしたわけでもなく、相手が勝手にやったことなのに」

 

これは、私が十代の時に本当に発した言葉。
当時、私は、「感謝をする」ということの意味が本気で分からなかったのです。

 

(他人から見れば)ごくごく普通の家庭で育ち、中学受験も成功。
大学受験も(第一志望じゃなかったけど)、なんとか現役で入れて就職も出来、
結婚もして…順風満帆な人生に見えたかもしれません。

 

身体にあざが出来るような虐待にあったわけでもなく、
食事を食べさせてもらえなかったことも無いのです。
…いや、むしろ必要「以上」の関わりはあったのだと思います。
(他人から見れば)そんなに不自由の無い生活のように見えたと思います。

 

ただ、「よくここまで出来たね」「頑張ったね」などという
「褒める」「認める」という意図の言葉がけはなく、
覚えているのは「どうしたら同じミスをしないか」「もうちょっとなんだから頑張れ」という言葉。
(親にとっては)「叱咤激励」だったのかなと思います。

 

今だから、ようやく親のしてきたことに理解を示せるようになり、
あの中にも「愛」があったのだということの理解が出来るようになりました。

 

しかし、当時の私にはそれを「愛」と感じられる余裕は無く、
ただただ悲しくむなしい感情と、「どこまでやれば私はいいのだろう」という
逃げ場の無い気持ちしかなかったのを覚えています。

 

そんな私は、ずっと
「何で私は生きているんだろう」
「出来ることなら、今すぐにでも消えてしまいたい」
ということを考えていました。

 

とにかく自分が嫌いで嫌いで、生きているのがイヤになることも珍しくは無かったです。
何で自分は何をやっても最後はいやな気持ちになるの?

 

これに気づいたのは20歳の頃。
関わる人間関係がことごとく上手く行かず、
それが何故だか分からず闇の中をもがいているような日々。
そのとき、私は1冊の本に出会ったことによって、ある気づきが得られました。

 

今、その本は手元に無いし、タイトルも内容もほとんど覚えていないのですが、
この本に出会ったおかげで
「自分はネガティブシンキングに支配されていること」
「ポジティブシンキングになればいい」
ということは分かったのです。

 

ただ、それ以上は分からなかったので、
すぐにポジティブシンキングになれることは無かったのですが、
ちょうどその頃、運がよく今の主人になる人に出会えました。

 

主人は、当時のことを
「このまま放っておいたら、こいつは死んでしまうかもしれない」
と振り返ってくれたことがあります(苦笑)
そう、半ば「人助け精神(笑)」でつきあってくれた人と3年後に結婚することになります。

 

付き合っていた当時から、この人は私のことを褒めてくれたんだけど、
どうやって反応したらいいのか分からない。
そのとき私は初めて気がつきました。

 

「あ、私、親から褒められたことが無いんだ」と。
「頭をなでられる」という感触を、私はこのとき初めて知ったのは鮮明に覚えてます。

 

結婚式の日に「親に感謝の手紙を読む」というありきたりのコーナーがありますが、
いくら考えても文面が出ないのです。

 

世話にはなっている、けど、よくある「感謝の言葉」が全く思い浮かばなくて、
それが何でだか分からなくて結婚式の前の日なのにすごく悩んだのをよく覚えています。
結婚式の前日の夜になって、ようやく知っている言葉を並べて
ようやく手紙を完成させたのを覚えています。

 

そのとき私は気がついたのです。
「あ、私、感謝の仕方を知らないんだ」と。

 

自分を好きになることは出来なくても、せめて自分を嫌いになることはやめたい。
自分と結婚してくれた主人のためにも。
そう思って、いろいろな心理学の講座などにも出かけたり勉強したりしましたが、
結局変わることは出来ませんでした。

 

ただ、そこで私は「虐待は連鎖する」「自分が育てられたようにしか自分は子どもを育てられない」
ということを知ったのです。

 

ってことは、自分が変わらない限り、自分が育てたようにしか自分は子どもを育てられない
ということであることを知りました。

 

自分と同じような思いを他の人にはして欲しくない。
だから、自分は子どもを持たなくてもいいのではないか?と漠然と思っていました。
しかし、夫は子どもを切望したのです。

 

この件に関してはなかなか折り合いがつかず、私は
「あなたのクローンなら欲しいけど、自分の血が入っている子どもは要らない」
という言葉を発したことがあるのを覚えています。

 

私の持病のこともあり、10年子どもには恵まれませんでしたが、こんな私でも、
なんと、結婚して11年目に子どもを出産してしまうのです。
しかも、うちの子、(見た目は)夫のクローンみたいな子だったのです(笑)
夫にそっくりで、可愛くて可愛くて…。
ヤバイ、自分が変わらなくては、間違いなくこの子は不幸になる!!
と改めて思いなおしたのです。

 

何とかしなくては、と思ったが、かれこれ10年以上「変わらなきゃ」と思っていても
変われなかったものをすぐに変われるわけも無く。
もう、とにかく、何でもいいから、自分が変わらなくてもいいから、
子どもだけは不幸にしたくない!!という気持ちだけがありました。

 

…ひょんなことからカメラマン織田氏と知り合ったのをきっかけに
「ママカフェ」というのを知りました。
ちょうどいいタイミングでママカフェが近くで開催されると知り、
参加費も自分のお小遣いで何とか捻出できそうなので早速参加してみました。

 

…当時から落ち着かない息子と格闘しながら、やっとの思いでメモした一言。
「認める」

 

私が参加した初めてのママカフェでメモできたのは、この一言だけ。
そして、そこでやはり、自分が変わらなくてはこの子を幸せには出来ないのではないか?と
思いなおしました。

 

しかし、数回目に参加したママカフェで、私と子どもを否定されたと感じてしまった出来事があり、
私はしばらくママカフェから足が遠ざかることになります。

 

その後、しばらくしてママカフェにまた参加するようになったのですが、
たびたび心折れる出来事と遭遇したり「いつまで経っても変われない」自分に
フォーカスを当ててはサボったり行ったりという時期が続いていました。

 

そんなこんなで、ママカフェを知ってから2年近く経ちました。
ママカフェで言われていること、分かっているようでイマイチよく分からない…ていうか、
分かるんだけど腹の中にドスンとくる感覚、俗に言う「腑に落ちる」って感覚が来ない…

 

私より後にママカフェに出会ったメンバーがキラキラ見えてきて…
何で自分「だけ」変われないんだろうって思うようになって…。

 

ママカフェ、私には合わないのかな。もう行くの辞めちゃおうかな…。

 

なんて思い始めた矢先に、先代主催に主催交代を持ちかけられ、
悩んで悩んで悩んだ末に引き受けることに。

 

真っ先に思ったのは…もう「サボる」という技が使えず
逃げられなくなる状態になってしまったということ(だから、どうしてそういう思考になる?苦笑)。
ただ、ここで幸運だったのは…ほぼ同時期にママカフェ理論編も始まったこと…
今思えば、まさにこれが私の「転機」。

 

選択理論の用語を使わずに行う「ママカフェ実践編」とは違い、
人の行動原理を初めとした「選択理論の基本」を学ぶ「ママカフェ理論編」。
分かれば分かるほど、頭の中がすっきりして…気がついたら悩む回数が格段に減っていきました。
私、理屈でものを考えるタイプのようなので、理論編が合っていたのですね。

 

だから、この1年かな。
自分の考え方、考えの構造が変わったので、子育てもそうだけど、
自分が生きていくのが楽になりました。

 

「頭の中がすっきりした」という感じかな。
物事を素直に、シンプルに考えてもぜんぜん大丈夫だし、それが逆にすごく楽なんだ、
そして、楽してもいいんだって思えるようになりました。

 

思い悩んで10年以上、ここまで来れる日が来るとは思っていませんでした。
まだ「自分を好き」にはなれていませんが、
闇の中から霧の中くらいの変化はあったのではないかと思います(笑)

 

ママカフェ講師の木村さんはもちろんのこと、ママカフェの存在を教えてくれた織田さん、
ママカフェを近くに持ってきてくれた前主催者にはとても感謝しています、ありがとうございます。

 

今だからこそ、「叱咤激励」も「間違いへの指摘」も「親なりの愛の『カタチ』だったのかなぁ」と
思えますが、そう思えるまでの時間は実に長く、また、もったいなかったと思います。

 

これを読んでくださっている皆様も、「愛情がない」子育てをしている人は少ないと思います。
ただ、子ども自身が、親の「愛情」を「愛情」と感じられないと、
親も子も辛いんじゃないかって(子どもの頃の)当時を振り返って思いました。

 

私だけが酷い目に遭ったとは思っていませんが、
私が欲しかった言葉を親から得られることはありませんでした。
(しかも、当時、そのことに気づいていませんでした)

 

自分の子どもには、当時の自分と同じ思いをして欲しくないと強く思います。
今、私は自分の子どもと接するときに

 

「子どもは本当は何をしたかったのかな、親に何を伝えたかったのかな」
「子どもはどんな言葉を親に求めてるんだろう」
「子どもが『自分は受け入れられている』ってどうやったら感じてもらえるだろう」

 

そんなことを意識しながら接しております。
そんなことを意識できるのも、ママカフェに出会えたからこそだと思っています。

 

とても長文になりましたが、読んでいただきありがとうございました。
この文章が、一人でも多くの子どもとの接し方に悩んでいる人の助けになりますように。